1570年頃
(天文年中)
開基に当たる順誓が、本願寺第10世 証如上人に帰依し(一説には実如上人)
真宗に改宗し、本願寺の直末となる。寺基を長尾村の神宮社の傍に移したともいう。
(町史には、慶長年間とある)
1692年
(元禄5年)
第4代空圓の時に創られた手水鉢が、経緯は不明だが武雄神社に現存する。
1745年
(延享2年)
第5代空善の時、寺基を現在地に移し、本堂を建立する。
棟札に「上棟式」挙行と記されている。
当時は山門石段下まで海で、「臨海閣」と呼ばれていたという。
1757年
(宝暦7年)
第6代空心の時、梵鐘の鋳造と鐘楼の建立。
1768年
(明和5年)
水屋に現存する手水鉢。
1798年
(寛政10年)
第7代観空の時、庫裡が移築される。
1870年頃 第10代単空の時、山門として伊勢の武家屋敷の門が移築された。
1880年頃 第12代了観は、稀に見る傑僧で、長尾学校の初代校長を勤めたり、
柳並木が あった現国道や港湾の建設に奔走し、
明治天皇行幸の際、鳳翔閣の建設に尽力した。 境内にその顕彰碑が建っている。
1900年頃 第14代 釈 得悟は、荒廃した寺を再興し、現存の鐘楼、書院等を建てて、寺勢も伸ばした。
1940年頃 第15代 釈 清玄。
戦時中に、梵鐘、喚鐘、仏具及び立ち並んだ大松を供出させられ、また自身も徴用された。
1948年頃 東南海地震で大破した本堂等を、物資不足の中で修復した。
1952年3月 また、梵鐘も再鋳し、鐘供養も執り行った。
1971年 3月 1959年の伊勢湾台風の被災にもめげず、本堂、玄関座敷等を中心に大修復を行い、
親鸞聖人七百回御遠忌法要並びに修復落慶法要を厳修した。
1981年10月 第16代 釈 顕真 襲職。
2008年10月 懸案であった本堂、庫裡、山門等の大修復事業の完遂。
2008年11月 御移徙法要勤修
2009年 3月 襲職式を執行し、第17代皆満寺住職に釈 奎悟が就任。
蓮如上人五百回御遠忌法要並びに修復落慶法要を厳修する。

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